読売新聞が2012年8月2日付で、『いじめ対策 教育委員会の在り方問い直せ』とする社説を掲載している。


 滋賀県大津市立皇子山中学校いじめ自殺事件では教育委員会の機能不全の弊害が現れたとして、教育委員会のあり方を再検討するように主張している。
 教育委員会の存在意義が厳しく問われている。
 地域住民から任命された委員らで構成する教委については、かねて形骸化が指摘されている。首長から独立した機関であるにもかかわらず、実務を担う事務局の方針を追認するケースが目立つ。
 事務局を統括する教育長の多くは教師出身者だ。学校で問題が生じた際に、「仲間意識」が働いて適切な対応がとれていないとの批判も絶えない。
 教委不要論も根強い。地方分権の観点から、教委の設置を自治体の選択制にすべきだと主張する首長もいる。教育委員会は現状のままでいいのか。文科省はその在り方を再検討する必要があろう。

 現行の教育委員制度は首長の任命制で、形骸化が指摘されていることは確かである。いじめ問題をはじめ、学力テスト・学校選択制・通学区域など地域の教育に重大な影響を与えるような課題でも、事務局主導で進められ、事務局方針を追認するだけになってしまっている例も多い。
 教育委員会不要論が出るのも、そういった現状を背景としたものであろう。
 確かに《現状の》教育委員会制度はそういった形骸化が進んでいて、改善すべき点も多い。改革はしなければならないが、だからといって教育委員会そのものを廃止する方向での「改革」は、政治勢力の引き回しを容易にするものとなってしまい具合が悪い。
 公選制復活など、委員が本業の片手間の「名誉職」ではなく、議員に近いような形で相応の権限を持って活動できるような仕組みこそが必要だと考える。
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