滋賀県大津市の澤村賢次教育長が8月15日朝に暴漢に襲われ、犯行の動機として大津市立皇子山中学校いじめ自殺事件での市教委の対応への不満をあげていることに絡み、事件があった8月15日には、大津市教委に寄せられたいじめ事件での抗議の電話やメールが前日までの18倍近くの273件に急増していたことがわかった。


 前日までは1日あたり15件前後だったという。大津市教委が公表していなかったアンケート結果が7月4日に新聞報道されてからの通算の抗議電話やメールの件数はこの日までの約1ヶ月半で1万5000件以上になる。
 抗議の多くは、「(いじめがじゃれ合いなら)襲撃もじゃれ合いだろう」 など、澤村教育長への襲撃を擁護するような内容だったという。
  • いじめを把握しながら放置し、担任教諭は「君ががまんすれば全て収まる」とまで言ったされるなど、最低限の対応すらされていないこと
  • 加害者は何の指導措置もされないどころか、転校先で新たな集団暴行事件を起こしていること
  • 加害者の関係者が逆に「自分たちこそ、被害者家族からいじめをでっち上げられ、マスコミやネットで中傷されている被害者」面して、自殺した生徒やその家族への理不尽な攻撃・中傷を加え続けていること
  • 澤村教育長は根拠もなく「被害者の家庭に問題がある」かのように攻撃したこと、
  • それらに対して法的措置などしかるべき対応が全く機能していないこと
――そんな状況が続くと、感情的になってしまいそうになる事自体は、理解できなくもない。
 しかし、だからといって、暴力やテロで解決しようというのは全くの誤りである。「自分たちは犯罪レベルの悪質な暴行・恐喝などのいじめを放置したうえ被害者を中傷して二次被害を与えながら、少しでも自分が不利になると被害者面するな」と感情的に思いたくなるかもしれないが、いじめ問題批判と襲撃の問題は別々にとらえなければならない。
 いじめ放置を理由に暴力やテロも許すような行為や言動に走ってしまうと、どんな弊害が起きるか。具体的には以下のような弊害が考えられる。
  • 加害者側が自らの加害行為を棚に上げて「被害者」面する口実を与えることになる
  • いじめ問題で加害者にとって不都合な指摘をすること自体が犯罪まがいの行為かのように悪宣伝されるおそれ
  • この事件に限らずいじめへの抗議そのものが「過激な行動」とみなされていじめ被害者が声を上げにくい雰囲気ができるおそれ
 いじめをなくしたい・いじめ被害から子どもを救いたいと考えている立場からは、こういう過激な行動を取る者が妨害者の役割を果たし、逆効果になってしまう危険性が考えられる。それだけに、冷静な対応を取っていかなければならない。
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