5月5日はこどもの日。新聞各紙でもこどもの日に関連した社説が掲載されています。


 新聞各紙のウェブサイトから、こどもの日をテーマにした社説を読み比べてみました。

 他紙でもこどもの日関連の社説が掲載されている可能性はありますが、当方では以上の5紙が目にとまりました。
 「毎日新聞」は子どもの環境改善を中心に構成しています。また「読売新聞」は、道徳的な訴えを中心に構成しています。
 目に付いたのが地方紙3紙の論調です。上記でリンクを張った北海道新聞・中国新聞・愛媛新聞とも、虐待問題を中心に取り上げています。大阪市西淀川区で4月に発覚した虐待事件にも触れ、発見した場合の通報の重要性や早期の対応などを訴えています。
 とりわけ、愛媛新聞の社説での指摘が目にとまりました。
 気になるのは、いまだに暴力を容認する社会の風潮だ。「しつけ」は体罰や虐待の言い訳にならないと、あらためて訴えたい。
 そもそも日本では保護対象としての子ども観が主流で、権利の主体として認めることに消極的だった。こうした人権の軽視が、子どもを親の専有物と見なし虐待を生む土壌になってはいないか。
 日本が国連の「子どもの権利条約」を批准して十五年になるが社会に浸透したとはいえない。国連の委員会は政府に対し条約が国内法に反映されていないなどと指摘し、啓発や学校での人権教育実施を勧告している。
 きょうは「こどもの日」。人権を、人の命を大切にする社会を実現するために、人は誰もが尊重され権利を持つ主体なのだと、まず大人が理解し、子どもたちにも伝えていこう。

 この指摘は、重く受け止められなければならないでしょう。
 子どもの人権を軽視する風潮が、虐待を生む要因の一つになっていることは明らかでしょう。親などの虐待だけではなく、学校現場では「体罰」や「児童・生徒いじめ」という別の用語が使われる、学校での教師の虐待行為についても同様です。
 児童虐待をおこなった保護者や学校で暴力・「体罰」を加えた教師などが、「しつけ」などと言い訳して自己の行為を正当化してきた例は、新聞記事などを少し調べただけで大量に実例が出てきます。さらには加害者は、自分のおこなった人権侵害行為を棚に上げて「自分への人権侵害」かのように騒ぐというケースも珍しくありません。またそういう加害者を全面的に擁護するような強い世論が作られることすらあります。根底には子ども観の貧困さがあります。熊本「体罰」訴訟で最高裁が「感情的な暴行でも『体罰』ではなく正当な教育指導」かのように受け取れる判決を出したことなども、根は同じだといえます。
 「子どもに暴力や危害を加えても『しつけ』や『教育』名目で正当化できる」という社会風潮は、早期に根絶していかなければなりません。
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