京都市立日吉ヶ丘高校に通っていた元生徒が、在学中に茶髪を理由として、教師から黒色スプレーをむりやりかけられたり、授業を受けさせてもらえないなどの人権侵害行為があったとして、京都弁護士会が改善を求める要望書を提出したという報道が、先日ありました。
 その後の報道を読むと、どうも「校則で茶髪を禁止していたにもかかわらず、女子生徒が意識的に髪を染めていた」と受け取れる内容になっていました。

 いろいろな方がこの問題についてブログで触れておられました。多くの方は、「スプレーはやりすぎだが、茶髪にするほうにも問題があるのでは」などという見方をしておられるようです。

 しかし、むりやり黒色スプレーをかけたり、授業を受けさせなかったりするというのは、たとえどんな背景があろうとも合理性に欠く行為です。その意味では、人権侵害という指摘も成り立ちます。

 ただ、報道では「スプレーをかけた」などの簡潔な事実のみを伝えているものの、黒色スプレーをかけるまでの詳細な経過についてはどの報道でも全く触れられておらず、この間の経過について何があったのかというのも気になります。

 要望書によると「髪の色の選択を公権力から干渉されないのは当然」としています。一般論という意味では、要望書の指摘は当然です。

 ただ、「校則に関する生徒の意見を集約して、校則に反映する機会や仕組みは、学校にあったのだろうか」という点は気になります。校則については永久不変のものではなく、必要に応じて適宜修正していけばいいものです。
 また、「生徒側も校則についての意思表示をしないまま(もしくはする機会を持たないまま)、“ゲリラ的”に茶髪にしたのか?」「学校側も、校則を盾に強圧的に指導したのか?」「お互いに乱暴な『実力行使』の応酬のような形になって問題がこじれたのか?」などという点も気になります。
 もっとも、報道されている事実関係以上の詳しい経過はわからないので、本稿の内容はあくまでも一般論になってしまいますが。

 今回の問題は、「学校とは」「校則とは」「子どもの権利とは」などの多岐なテーマについて、改めて深く考えさせられるニュースです。
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