吉村洋文大阪市長が、全国学力テストの成績を教職員人事評価に反映させるなどと表明している問題。この方針には、各方面から批判が寄せられている。

 しかし吉村市長は、批判などどこ吹く風という感じで、ツイッターなどで「反論」を試み続けている。

 学力テスト成績を教職員への人事評価に使うのはやめるべきとする、インターネットを中心に集めた1万5000分の署名と要望書が、8月15日に大阪市に提出された。

 そのことを報じた記事に対して、吉村市長が8月17日付のツイッターで「反論」を試みている。




 しかし吉村市長の言い分は、何の裏付けもない個人的な願望にすぎない。

学力テストでの点数競争・順位競争は不正の温床


 実際はどうなのか。歴史の流れが、吉村市長の願望は全く成り立たないことを余すところなく証明している。

 全国学力テストが歴史的に、学校間の競争と序列化、それに伴う成績競争での不正を生んできたことは、各方面からも明らかにされている。このことは教育関係ではいわば基本的な知識となっている。

1960年代の全国学テでの不正



 例えば浦岸英雄(2010)「全国学力テストはなぜ実施されたのか」(『園田学園女子大学論文集』第44 号)。

 全国学力テストは、1961年度~64年度にかけて一度導入されたものの、学校間・地域間の競争が激化した背景から撤回された経緯がある。この論文では、1960年代の全国学力テストでは何が起きていたかを解明している。

 当時成績がトップになっていた愛媛県と香川県について、教育学者などで作った「文部省学力テスト問題学術調査団」が調査をおこない、学力テストによって以下の弊害が出ていると指摘した。


  • 文部省学力調査のための「準備教育」が明らかに行政指導のもとにおこなわれている。

  • 学校教育全体がいわば「テスト教育体制」になっている。○×テストによい成績をあげることが教育の目的のようになり、他の分野はないがしろにされる。

  • このような教育のあり方が、行政当局の「指導」によって組織的におこなわれている。

  • 学力テストが教師の勤務評定と結びついて、教育を「荒廃」させる原因となっている、とみられる。



 そして学力テストに関連して、教師が生徒に答えを教える、成績の振るわないと見込まれる子どもに当日欠席するよう強要する、などとといった不正が起きたと指摘している。

学力テストでの学校・教職員評価では不正とつながる



 学力テストの成績状況が各学校や教職員への評価と直結すると、不正がはびこることになる。これは1960年代に一度導入されて撤回された学力テストだけではなく、現行の全国学力テストでも、また地域独自の学力テストでも、同じような不正が起きている。

 例えば東京都足立区では、区立学校で、区や東京都の学力テストでの不正がおこなわれていたことが、2007年に発覚した。

http://www.asahi.com/edu/student/news/TKY200707080125.html

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-07-17/2007071715_01_0.html

 順位を上げるために、前年度の試験問題をコピーして試験直前に過去問を繰り返し解かせる、障がいを持つ児童生徒との答案を採点から除外するなどの行為があった。また試験監督中の教師が、誤答をおこなっている児童生徒の机を叩くなどして合図を送ることで、誤答に気付かせるなどの行為もあったとされる。

 区内の学校別の順位を公表した上で学校選択制の資料にしていたことや、学力テストの成績によって学校別に予算を傾斜配分する仕組みを取っていたことが、不正の原因となったとも指摘されている。

 また足立区教委は2005年1月、区立学校の校長を集めて、近く実施されることになっていた東京都の統一学力テストの問題を事前配付し、対策をするよう求めていたことも明らかになっている。

 過去に実際にこのようなことが発生しているのに、似たような背景を持つ大阪市で絶対に不正が起こらないと言い切れるなど、ありえないのではないか。現場の教職員の意向に関わりなく、不正を強要される方向へと圧力が働く危険性がある。

 吉村市長が政調会長を務める維新の会、また同会の創設者の橋下徹は、気に入らない指摘にはすぐに「勉強しろ」などと、まるで相手が無知なのにおかしな言いがかりをつけて見当違いの嫌がらせをしているかのように印象操作し、上から目線で噛みつくのを常としている。しかし学力テストに関する吉村市長やその同調者の言い分は、それこそ「勉強しろ」というべきものである。
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