仙台市立小学校2年の女子児童が学校でいじめを受けていたことを苦に、母親と児童が無理心中を図ったとされている事件で、父親が1月21日に仙台市教育委員会を訪れ、第三者委員会による調査を求める要望をおこなった。

 いじめ事件については、加害児童側の保護者が恫喝めいた言動をおこなったと指摘されているほか、学校側が「担任教諭や校長が表面的な対応をおこなって事態を悪化させた」「被害者側が公開を承諾していない情報を、学校側が加害者に伝える」などおかしな対応をおこなったことも指摘されている。

 また市教委の対応についても、以下のような指摘がされている。

 父親によると、両親は学校に何度も相談したが「対応する」「もう少し待って」と繰り返された。市教委に訴えても「相手が認めないと解決できない」と言われたという。

河北新報2019年1月22日 『<いじめ母子心中>市教委に訴えても「相手が認めないと解決できない」 長女、手紙に「しにたいよ」』


 いじめを「相手が認めないと解決できない」とは、どういうことなのか。それはすなわち、対応しない・放置するということにもなる。「被害者の立場に立って対応する」いじめでの対応の基本を大きく逸脱したものである。

 しかも仙台市では、ここ数年間に館中学校(2014年9月)・南中山中学校(2016年2月)・折立中学校(2017年4月)と、市立中学校での生徒のいじめ自殺が3件相次ぎ、いずれも学校側の対応に重大な問題があったとして大きな社会問題になっている。

 これらの事件を受けていじめ対応への強化がうたわれている中で、このような対応をして、再びいじめによって命が失われるような形になったのは、過去の事件の教訓が活かされていないことにもなる。余計に問題ではないか。
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