学校において服装や頭髪・生活状況などが細かく規制され、人権侵害レベルにまで至っているとも指摘されている、いわゆる「ブラック校則」。ここ数年来問題になってきたが、「ブラック校則」の改善は2020年以降も引き続き課題となってくる。

厳しい校則は1990年代前半頃までの管理教育の問題と相まって論じられてきたきらいがある。その一方で2010年代に入り、「ゼロ・トレランス」の概念を背景にした生活指導が学校現場に広まったことも一因となり、再び管理統制の強化の方向が進んでいるとも指摘されている。1980年代~90年代前後よりも決まりが厳しくなっているのではないかとも指摘された。

生徒や学校関係者からの実態報告、また市民団体などの情報公開請求によると、生まれつき髪の毛の色が茶色い生徒やくせ毛の生徒に「地毛証明書」を提出させているケース、下着の色などまで規制しているケースなど、不適切ではないかとも思われるものも報告されている。

校則でがんじがらめに締め上げることは、それ自体が生徒への抑圧であり、生徒への人権侵害となる。

さらに、生徒を校則・規則で管理する風潮を強めていることによって、生徒間のいじめを誘発する一因となっているとする指摘もある。規則での縛りが強いほど、いじめ傾向も増えるという。指導に過剰適応した一部生徒が、「教師が同じような指導をしているから」として、規則から外れた生徒には攻撃を加えてもよいかのような思考に陥り、いじめへとつながる。加害者には罪悪感などは薄く、規則・ルールから外れた者を正義感から注意しただけだとばかりの思考になっているという指摘である。

生徒を抑圧し、自主的に考えさせないような対応では、人権侵害が強まる一方となってしまう。

そのような対応ではなく、生徒の自主性を尊重し、自主的・自律的・自治的な態度を育成することが重要になる。生徒指導をはじめ学校でのあらゆる活動は、生徒の自主性を尊重した方向へと大きく転換していく必要がある。

また社会的にも、一部には、服装や頭髪について「ふさわしい形」に押し込むことが良い、外れることは学校の評価にもつながるなどとする、学校や地域社会の風潮もみられる。そういう対応によって、「ブラック校則」が正当化される口実となっているきらいもある。そういう風潮が「正しい」のかどうかという根本についても問われなければならない。

同時に、生徒の人権が侵害されている背景には、教職員の多忙化・人手不足や業務への統制強化・マニュアル化などで、教職員の働き方にもしわ寄せが来ていることも一因となっている。ゆとりある教育活動ができる学校にするためには、その点についても同時に改善を図る必要がある。
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