『しんぶん赤旗』2020年10月20日付が、『育鵬社教科書激減したわけ』と題する、鈴木敏雄氏(子どもと教科書全国ネット21事務局長)の論考を掲載している。

論考では、家永教科書訴訟で子どもの学習権・国民の教育権が認められたことをベースにして、教科書採択において教員の意見を反映させる仕組みが1990年代に広がったことと、1997年の「新しい歴史教科書をつくる会」の出現と右派政治家との結託の動き、調査研究資料では低評価の教科書を政治主導で採択させてきたことなどについて触れている。

その上で、2001年に「つくる会」が自前の教科書をだし、その後自由社や「日本教育再生機構」の育鵬社に受け継がれたことに呼応する形で、2000年代初頭から地域住民や教職員などが教科書採択の透明性強化を追及する動きも生まれたことを指摘している。

2020年教科書採択で育鵬社採択が激減したことについては、法律や制度の改正により「自虐的」記述が減って他社との差が縮まったという見方について否定的な見解を取り、「長年の運動を軽視するものではないか」と論じている。

論考では、「育鵬社と同じような教科書の記述が増えているのは事実」とする一方、教科書の基本的な考え方として侵略戦争・植民地支配美化、日本国憲法の基本原則軽視・憲法改正を強く打ち出しているのは育鵬社・自由社だけとして、長年の住民の取り組みへの評価に比重を置いた見解を示している。

論考では大筋で、以下のような流れになっていた。

この論考については、考えさせられるものがある。

右派勢力が法律や制度をいじり、教科書検定基準を変えておかしな記述を紛れ込ませている、右派があえて「リスクの高いもの」を無理に採択しなくても済むようになったのではないかという指摘は、ある一面ではありうるものではある。

その一方で、結果的に不利な条件が作られた部分もあるとはいえども、教職員や市民が何もしなかったというわけではなく、よりよいものにするために長年取り組んでいたという事実は、適切に扱われるべきもの。

歴史的な流れについてもていねいにみていった上で、さらに将来的な動向を注視していきたい。
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