教育学研究者らでつくる日本教育学会は12月12日、教育勅語を教育現場で肯定的に扱うことを否定しなかった政府見解について「歴史的事実をゆがめるものだ」として批判する報告書を、文部科学省に対して出した。

 2017年2月に森友学園問題が発覚した。森友学園が設置を計画していた小学校の敷地について、国有地だった土地を学園側に不正に安く売り渡したとされる問題が発端だった。この問題は、大阪府が国の土地取引と歩調を合わせる形で、本来ならば条件を満たしていないにもかかわらず小学校の設置認可を強引に進めた大阪府政の問題や、森友学園自身の特異な教育方針にも飛び火した。安倍晋三首相にもつながる国政の政治家や、橋下徹・松井一郎の2代の知事など大阪維新の会の政治家が、森友学園の教育方針を絶賛していたことが、国の土地取引や大阪府の学校認可にかかる不可解な事象の背景にあると指摘された。

 森友学園の特異な教育方針として問題になった具体的内容の一つが、教育勅語である。森友学園が運営する塚本幼稚園(大阪市淀川区)や系列の南港さくら幼稚園(大阪市住之江区、開成幼稚園幼児教育学園に改称したのち2014年より休園状態)では2000年前後から一連の森友学園問題が発覚するまで、教育勅語暗唱を軸とした教育を取り入れていた。2006年7月には、共同通信の記事が全国の加盟新聞社に配信される形で、塚本幼稚園と南港さくら幼稚園の名前を挙げて「教育勅語を暗唱させる教育をおこなっている」と報じられたことがある。

 森友学園問題発覚後の国会では、森友学園の教育勅語暗唱の教育方針を例示し、教育勅語の扱いについてただす国会質問や質問主意書の提出などがおこなわれた。

 しかし政府・安倍内閣は、教育勅語を明確に否定するような答弁をおこなわなかった。

 稲田朋美防衛相(当時)は2017年3月8日の参議院予算委員会で、「勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ」「勅語自体が全く誤っているというのは違う」と答弁し、教育勅語を肯定すると受け取れる認識を示した。

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 安倍内閣は2017年3月31日、教育勅語について「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」とする答弁書を閣議決定した。

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 答弁書の内容について批判があがり、その後も国会での教育勅語問題の質疑が続いた。政府側は道徳教育でも「憲法や教育基本法に反しない形」なら教材として使用することは差し支えないと受け取れる認識を崩していない。

 教育勅語は、非常時には天皇のために命を投げ出せ、そのことは永久不変の道徳だという内容になっている。徳目が「よいことを書いている」として肯定されるという主張もあるが、その徳目はすべて「天皇のために命をかけろ」というための準備としてのものである。

 このため、終戦後は教育勅語に基づく教育体制は全面否定された。文部省の通牒によって教育勅語を学校現場で使用させないようにした上、教育基本法施行を経て教育勅語の効力は失われた。さらに、1948年に国会で教育勅語の排除・失効決議がおこなわれ、いわば「ダメ押し」の形で教育勅語の排除・失効が確認されたものである。

 歴史学習の際に時代背景を把握するための史料としての限定された用法ならともかく、教育勅語そのものを教材として取り扱うこと自体が、ありえないことになっている。

 「徳目にはよいことが書いてある」として道徳教育に使用するという発想自体が、これまでの歴史的な経緯と整合性がとれないことになる。

 教育勅語を持ち込むこと自体が問題外なのに、条件付きで持ち込むことは否定しないということに執着することは、教育勅語を軸とした教育体制の復活をねらっていると思われても仕方がないのではないか。

 また、政府がはっきりと否定しないことによって、現場で一部の暴走した者が、教育勅語の教材としての持ち込みをなし崩しに拡大していく危険性も生まれることにもなる。日本教育学会が報告書提出後におこなった記者会見でも、そのような危惧が語られたという。

 やはり、教育勅語の教材としての使用はありえない・明確に禁止されているという立場に立たなければならない。

(参考)
◎教育勅語めぐる閣議決定に反対する報告書 日本教育学会(NHKニュース 2017/12/13)
◎教育勅語容認は「歴史ゆがめる」 教材否定せぬ政府に教育界反論(東京新聞 2017/12/13)
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